管理人のつぶやき

最も「影響」を受けたあの試合・・・

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JリーグのないGWも間もなく終了。
休みの半分ぐらいは仕事に出ていましたが、時間もあるので、少し思い出話をしてみたいと思います。

先日、ある方から「管理人が思うベストゲームは何ですか・・・」というご質問を受け、さてさて、
どの試合かなぁと時折考えておりました。

やはり御贔屓クラブの歓喜した試合や悲しかった試合、はたまた代表の試合や、Jリーグの他の試合や
海外の試合など、これまで見てきた沢山の試合で何が一番だったかなぁと・・・

それでも、思い浮かぶのはあの試合・・・

決して、歓喜した訳でも、結果が良かった訳でもないのですが、自身が一番影響を受けた、
リアリティに溢れた20年以上前の試合。

その試合を振り返ってみたいと思います。
完全に管理人の単なる経験談ですので、ご覧になられる方は単なる暇つぶしと思って御覧下さい。


その試合は・・・

その試合は1997年10月26日、東京の国立競技場で行われた、フランスW杯アジア最終予選B組
「日本vsUAE」です。

結果は1-1のドロー。

もう、22年も前の話なのですね。
私も歳を取るはずです・・・(-_-;

まあ、自分と同じ世代の方はよく覚えていると思います。
私にはサッカーの試合を見た後、朝まで眠れなかった経験が3回あるのですが、その一つです。

自分と同年代の方なら、この試合を覚えている方は多いと思いますが、今、語られることが多いのは
その3試合あとの野人岡野のⅤゴールで勝利し、W杯初出場を決めたジョホールバルでのイラン戦の
ような気がします。

しかし、日本中がこれまでのW杯予選で一番固唾をのんだ、この苦しい苦しい予選の中で、さらに
最も苦境に立たされたのが、この試合で勝てず、ドローに終わった瞬間でした。

この試合に臨む前の日本代表が置かれた状況、試合内容・結果、そしてそのことがもたらす、その後の
状況等、歴史上日本代表がもっとも精神的に追い詰められた試合だった気がします。

その試合の現場に居たことで、私のサッカー感も大きく変わりました。
そんな試合です。


まずは、試合前の状況から

まず、この試合がいかに大事な試合であったかは、試合前の状況をよく確認する必要があります。

その前のアメリカW杯を、みなさんご存じの「ドーハの悲劇」で逃した日本代表でしたが、その4年後の
フランスW杯出場は、まさに「MUST」「どんなことがあっても出場しなければならない」という論調や
サッカーファンの間でも「必ず出場できる」といった雰囲気が極めて一般的でした。

まだW杯に出場したことがないのに「出場できて当たり前とは言わないけど、日本代表は必ずやってくれる
はず」といった期待は、代表選手に尋常ではないプレッシャーを与えたことは想像に難くありません。

ただ、この時のアジアの出場枠は3。

最終予選に進出したA組、B組の1位のみが自動的に出場権を獲得し、さらに2位同士が中立地
プレーオフで最後の椅子を争うという、現在の予選のレギュレーションより相当狭き門でした。
(ちなみにアメリカW杯予選時はわずか出場枠2)

A組に強豪のサウジアラビア、イランが、B組は有力候補の韓国、日本の他はUAE、ウズベキスタン、
カザフスタンで、組み合わせが出た当初も、B組は韓国と日本の一騎打ちという雰囲気だったと記憶して
います。

初戦をエースカズの4得点で6-3というスコアでウズベキスタンを撃破し、順調なスタートを切った日本
でしたが、次節のアウェイUAE戦はスコアレスドロー。

ただ、2戦目もアウェイということで、ここまではOKという雰囲気が暗転するのが、3戦目ホームの
ライバル韓国戦です。

スコアレスの後半、山口素弘の芸術的ループシュートで先制し、雰囲気は最高潮となりますが、終盤の
連続失点でまさかの逆転負け。

また、明らかになるのは予選終了後になりますが、この試合で韓国DFの激しいマークを受けたエースの
カズは尾骶骨骨折を負うことになります。

さらに次節のアウェイ格下のカザフスタン戦は後半ロスタイム(当時はアディショナルタイムではなく、
まだこういう表現だった気がします)に同点弾を食らい、監督の加茂周が更迭。代行監督として
コーチだった岡田武史が指名されます。

さらにアウェイ連戦のウズベキスタン戦もようやく90分に追いついてのドローと、苦戦の連続となります。


そんな状況で迎えるのが6戦目、ホームでのUAE戦となります。

ここまでUAEは日本より1ポイント上回る勝ち点7の2位。
しかし、その前のカザフスタン戦では0-3で敗れ、日本との差を開くことができず、安定した戦いぶり
とは言えない状態でした。

一方の日本代表はこの試合で勝たなければ、自力での予選グループ2位確保が無くなる上、次の試合は
アウェイでの韓国戦を控えるなど、まさに「勝つしかない」と誰もが強く強く感じる状況でした。

国立競技場に足を運んでいた管理人でしたが、その悲壮感は試合前からサポーターにも強く感じられました。

耳慣れない応援歌が試合前に歌われていました。
そう、この試合から「翼をください」が代表の応援歌として歌われ、代表を後押しする雰囲気は最高潮。

また管理人も人生で一番大きな声で「君が代」を歌った気がします。
そう、自然と歌えるんですよね、こういう雰囲気の時って・・・

そんな雰囲気で始まった試合。

勢いよく攻め込んだ我が代表は早々に呂比須ワグナーのミドルが決まりわずか4分で先制。

その後も勢いよく攻め、追加点さえあれば圧勝かという雰囲気もありましたが、その後ペースダウンし、
逆に前半のうちにセットプレーで追いつかれます。

後半からはさらに試合は結果だけを求める「リアル」さが増していきます。
焦りから攻撃の精度が上がらない日本に追い打ちをかけたのが、UAEの露骨すぎる時間稼ぎ。

接触プレーのたびに過度な痛がり、倒れ込みなど、今では考えられない醜い振る舞いの連続です。

ピッチの選手、ベンチのスタッフだけでなく、サポーターもイライラ(というよりUAEに対する怒り)が
増幅します。もちろん私も例外ではありませんでした。

悪戯に時間だけが過ぎていった、後半ロスタイム、誰もが最低5分程度はあると思ったその時間は、
わずか1分30秒で終焉。(ちなみにこの頃はアディショナルタイムの事前表示はありません)

まさに「中東の笛」が日本で吹かれた瞬間で、スタジアムは怒り、怒号、絶望に包まれました。

猛抗議を掻い潜って、引き上げる審判団に対し、一斉に沢山の物が投げ入れられます。

実は自分の見ていた位置は丁度審判が引き揚げてくる場所の近くで、恥ずかしながら私も人生で初めて
「ピッチに物を投げ入れる」と言う行為に及んでしまいました・・・(-_-;

多分、手に持っていたゴミかペットボトルだったと思いますが、物を投げ入れることを注意する者
など皆無で、レフェリーに対する怒りしかありません。

私の人生、ピッチに物を投げ入れたのは、後にも先にもこれが最初で最後ですが、その時の光景は
今でもクッキリと私の脳裏に残っています。


誰もが結果を受け入れることが出来ず、スタジアムを後に出来ない方が沢山いらっしゃいました。
まさに「ただならぬ雰囲気」。

そして、その怒りの矛先はついに代表選手にも向けられてしまいます。

バスが囲まれ、生卵が飛び交います。
30歳カズが激怒した夜/記者が振り返るあの瞬間

私は少し離れた場所にいて、目撃はしていませんが、十分にこのような事がおきる雰囲気は
体感しました。

「フランスW杯にはもう出場できない」
みんなそんな絶望を抱えながら帰路に就いたのではないでしょうか。

そんな状態で、ホテルに帰っても、全く朝まで眠れなかったのを強く記憶しています。


この試合で感じたのは、とにかく試合の結果だけにみんなが拘っていた、強烈な「リアル」。
そしてそのリアルから派生する人間のメンタル、集団心理の怖さです。

結局、次節のアウェイ韓国戦(ちなみに韓国は既に出場権を手にしていた)に勝利した日本代表は
カザフスタン戦も連勝し、結局はジョホールバルでイランを下し、フランスW杯の出場権を手に
しました。

しかし、そこに至る大きな過程として、この苦しい苦しい試合がありました。

私自身はこんな体験もあったからなのか、Jリーグのオールスター戦や、顔見世興行的な
親善試合はどんなにメンバーが豪華でもあまり関心が上がりません。

そんな試合より、レベルが低くても「入れ替え戦」のようなリアリティを感じられる試合に興味関心が
行ってしまいます。

Jリーグで言えば、優勝争い、J1降格・残留争い、J2降格・残留争い、代表で気えばW杯最終予選、
といったものになるのでしょうね・・・

サッカーの楽しみ方は色々ですが、まあ、管理人の素地はこんな感じです。
(御贔屓クラブにしても、よかった試合よりも苦しかった試合の方が印象に強く残っています。)

管理人の完全な思い出話でしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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